人生に、審判はいないんだよね。
親愛なる君に

「毎日新聞」に連載のさだまさしさんのエッセイ「日本が聞こえる」が、
「なるほどね」と、いつも思わされる。
さださんは、あんなに素敵な詞も書くけど、
こんなにジャーナリスティックな視線も、もってるんですね。
ジャーナリスティックって、客観的ということじゃなくて、
人間としての、デリケートで優しい視線なんですね。
「判定でもめた柔道は、スポーツになったから、
第三者が勝ち負けを決めるようになった。
武道なら、お互いが、どっちが勝ったかがわかる」
というのは、まさしくそうですね。
武道って、審判っていないんですね。
人生も、審判はいないんですよね。
ヨーロッパの決闘だって、
立会人は、審判じゃないんですね。
さだまさしさんの武道の話、いいなあ。
ケンカ道についての話も、今、書いています。

                        中谷彰宏拝
P.S.
ケンカの勝ち方について、今度、教えてあげるね。