疑似体験としての後悔が、いざというとき、役に立つ。
(新大久保事故)
親愛なる君に

新大久保の電車事故は、
「自分だったらどうしたか」ということを、一瞬、
日本中の人、誰もに考えさせてくれたという意味で、
3人の死がムダにならなかったと思います。
助けに下りて犠牲になったカメラマンと韓国人留学生は、
「考えてした」というより、「体が動いてしまった」のです。
ああいうとき、人間は考えては行動できないのです。
前に一度でも、「こうすればよかった」という後悔があると、
つぎのとき、できるようになるのです。
ほとんどの人が、あたかもその場に居合わせたように感じ、
「自分はできなかったろう」と疑似体験として、後悔したはずです。
疑似体験として、後悔をしておくことも大事なことなのですね。

                        中谷彰宏拝
P.S.
君が新聞を読みながら、「ふーっ」と、ため息をついているところも、
好きだよ。