節操をなくした人ほど、強い人はいない。
(『彦馬がゆく』)
親愛なる君に

三谷幸喜さんの舞台『彦馬がゆく』(パルコ劇場)を観ました。
またまた、三谷さんはタイトルで引っ掛けました。
彦馬は、ちっとも「ゆかない」のです。
まわりの人間が右往左往する時代に、ずっとじっとしてるのです。
だから、逆に、目立つのです。
幕末は、人々が、右往左往した時代です。
武士から、商人や職人や農民という町人の時代に変わる時代です。
写真家の小日向文世さんは職人だし、娘の酒井美紀さんは商人だし、
息子の伊原剛志さんは、武士にあこがれる武士ではない人です。
桂小五郎や西郷隆盛ですら、武士的ではない人々です。
武士ですら、武士でなくなっていく時代だったのです。
武士と町人の違いは、節操があるかないかです。
町人は、好きなもののために、あらゆる節操を捨てた人々です。
武士は、節操のために、好きなことを犠牲にする人々です。
節操に息苦しくなって、江戸時代は終わるのです。
たったひとつの好きなことをするためには、節操を捨てることだということです。
司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の竜馬も、ひたすらウロウロする話です。
本当は『竜馬はウロウロする』というタイトルなのです。
尊王だろうが、攘夷だろうが、お客さまはお客さまという彦馬は、
商人の鑑です。
僕が、広告代理店で学んだことは、節操を捨て去ることだったのです。
シリアスな狂気役が多い松重豊さんのお笑いも良かった。
大倉孝二さんの切れ方も良かった。
温水洋一さんの小さい西郷隆盛も良かった。
瀬戸カトリーヌさんのゴスペルも良かった。
10年以上前に書かれた作品なのに、
「あのなあっ!」と声を大きくしたあと、必ず「……まあ、いいや」と
言うのをやめてしまうセリフは、小日向さんのために
書かれたセリフのようでした。
これこそ、男の中の男です。
節操をなくした人ほど、強い人はいないのです。
これは『野田版・研辰の討たれ』の兄弟作品なんですね。

                        中谷彰宏拝
P.S.
休憩中にパンフを読み込んでいたら、
肩をポンポンと叩かれた。
振り返ると、悪がきっぽく笑っていたのは、唐沢寿明さんだった。
ここにも、軽々と節操を捨てている超越的役者がいた。