「出る」役者は「いる」役者にかなわない。
(ビートたけしさん)
親愛なる君に

ビートたけしさんが、松本清張さんの『張込み』のドラマで
刑事役をするというので、楽しみです。
その記事の中で、
「たけしさんは、『出る』役者ではなく、『いる』役者なんですね」
というコメントが、印象的でした。
通常、役者はがんばって、「出てるぞ」って、やりがちなんだけど、
「いる」だけで、何もしないって、凄いことですね。
しかも、「いる」だけで、「出てるぞ」って演技する役者よりも、
オーラを発するんですね。
たしかに、たけしさんは、バラエティ番組に出ている時でも、
ほとんどしゃべりません。
ただ聞いているだけなのです。
中田英寿選手との対談でも、たけしさんは、
「スタジオに入っただけで、しーんとなるような存在」
という話をしていました。
「いる」は、「出る」より、はるかにレベルの高い次元の問題なのです。
「出る」と「いる」を、自分の世界に引き寄せて考えた場合、
どうなるんだろうと、考えました。

                        中谷彰宏拝
P.S.
君と僕の間でも「出る」と「いる」って、
どういうことだろうね。