力を抜いた文章にこそ、文体がある。
親愛なる君に

「中谷さんは、文体は興味ないのですか?」
と、よく聞かれます。
これは、あまり僕の本を読んだことがない人の質問です。
または、本自体をあまり読んだことのない人の質問です。
こういう人は、「速く書く人には文体にこだわりがない」
と、思い込んでいるのです。
実際は、逆なのです。
「力を抜いて書けば書くほど、文体は生まれる」
ということを、本が好きな人は知っています。
力を抜けば抜くほど、個性が出るのと同じです。
個性は、気張って出るものではないのです。
文体とは、書く人の個性です。
人為的な作為が感じられるようでは、文体ではありません。
あたかも文体がないかのように感じられるのが、
本当の文体なのです。
簡単そうに見えて、実はマネができないのが、文体なのです。
中谷本っぽい本は、たくさんありますが、
本が読める人が読むと、すぐ違うとわかります。
文体に特許がないのは、マネしようとしても、できないからです。
力を入れてできることはマネできますが、
力を抜いてできることはマネできないのです。
文体こそ、書き手のメッセージであり、書き手の生き様なのです。
だからこそ文体に、読む人は、共感するのです。

                        中谷彰宏拝
P.S.
君の書く文章の文体も、好きだよ。