北野映画は、駅伝だった。
(『Dolls』)
親愛なる君に

北野武監督の『Dolls(ドールズ)』の完成披露試写を観てきました。
その人が作るものは、すべてその人のDNAから生み出されます。
自分の持っているDNAを生かすことが、最も素晴らしい作品を生み出すのです。
ものを作るとは、芸術家にとって、自分自身のDNA鑑定になるのです。
北野監督のDNAに、あらたに気づかされました。
0代、父親の「職人」ペンキ屋という「芸術」。
10代の「工学部」。
20代の「芸人」。
今回気づかされたのは、やはり10歳までにおばあさんから受け継いだ
「義太夫」のDNAでした。
文楽の語り物のDNAです。

『Dolls』は、タイトルの通り、登場人物が、すべて人形です。
人形が人間を演じているのではなくて、人間が人形を演じているのです。
武さんの映画に共通する5つの特徴があります。
1.登場人物にしゃべらせない。
2.人物に、表情をさせない。
3.画面に対して、人物が小さい。
4.人物が、横に並ぶ。
5.ストーリー説明が、ほとんどなく、想像させる。
これらは、すべて文楽の特徴です。
北野映画に一貫して流れるスタイルです。
誰もマネができないのは、DNAから生み出されたスタイルだからです。

『Dolls』は、箱根駅伝のような映画です。
登場人物であるランナーは、ひと言のセリフも言わずに、黙々と走ります。
セリフを言っているのは、観ている側なのです。
観ている側が、勝手にドラマを語っているのです。
しかも、観客は、ランナーを見ているようで、
実は、大手町のビル街から、小田原のかまぼこやを通って、
箱根の雪の坂道へ至るという日本の景色を観ているのです。
3つのカップルのエピソードが、
まるで3台の中継車で交互に映し出されているみたいでした。
二人をつなぐ赤い紐が、たすきに見えました。

僕は、おじいさん、おばあさんから、どんなDNAを受け継いでいるか、
気になりはじめた。

                        中谷彰宏拝
P.S.
君は、おじいさん、おばあさんから、どんなDNAをもらってる?