手元になくても、相手のところに、写真や手紙は保管されている。
(泉ンチョ)
親愛なる君に

予備校の寮が、記念撮影をする間もなく取り壊しになってしまって、
「写真もないんだよね」という話をレターで書いたら、手紙が届きました。
高校時代の親友「泉ンチョ」(アクセントは、チョ)が、アルバムを探してくれました。

〈旧いアルバムを開いてみたのだが、見つからず、
でも、まだ引っかかりがぬぐいきれないので、
ベッドの下をごそごそしていたら、やっとこさ見つかった〉

泉ンチョとは、予備校時代、最も手紙のやり取りをしました。

〈さだまさしの「檸檬」めぐりで、
聖橋や御茶の水のスクランブル交差点で写真を撮ってもらったのが、
実に懐かしい〉

これは、その時の写真でした。
その頃から、さだまさしさんが、大好きでした。
色あせ具合が、なんとも24年の年月を感じさせます。
毎晩、寝る前に、泉ンチョが、レターを読んでくれているのもうれしいけれど、
もっとうれしかったことは、大学の先生になっているのに、
手紙の筆跡や文体やレイアウトが、
さだまさし時代とまったく同じだったことです。
手紙や写真は、手元になくても、
大切な人が、大切に持ってくれているものですね。
泉ンチョから、予備校時代にもらった手紙も、
全部、僕はとってあります。

                        中谷彰宏拝
P.S.
君からの手紙も、メモも、全部とってあるよ。