オチのある話を書きたい。 |
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親愛なる君に 後藤ひろひとさんと横内謙介さんの対談を、 NHK−BSで見ました。面白かった。 「どんなにめちゃくちゃな展開になっても、 終わりのあるお芝居を書きたい」という後藤さんのお話に、 「なるほどな」と、思いました。 「終わりのある」ということは、当たり前のようで、 お芝居の世界では、当たり前ではありません。 「終わりがある」ということは、逆に、B級だとさげすまれたりするのです。 「ウエルメイドプレイ」は、ほめ言葉ではないのです。 「起承転結」ではなく、「起承転転転転……」というのが、 通ぶる人には、受けるのです。 「わけがわからない」ということが、高級だとされる風潮が、 お芝居をマイナーな世界に閉じ込めてしまったのです。 僕は、大音響と長台詞の絶叫で終わるお芝居は、苦手です。 オチがついて、伏線がつながるお芝居が好きです。 話でも、オチのない話は、苦手です。 「ネタやん」と言われても、オチのある話が好きです。 「……でっ?」って、聞きたくなるような話は、つかれます。 僕は、本を書く時でも、 わき道にそれるのは大好きですが、 最後には、詰め将棋のように、オチがある文章を書きたいと思っています。 「そう来るか」と、驚かせたいのです。 中谷彰宏拝 P.S. 「きっと、オチがあるに違いない」と期待して聞く君も、好きです。 |