僕にとって丸の内は、働く場所ではなく、生活空間だった。
親愛なる君に

丸の内地区の再開発をしている
三菱地所の街ブランド室長の上垣智則さんのお話をうかがいました。
僕は、博報堂の8年間、丸の内の通称三菱村で、過ごしました。
「8年間、住んでいた」と言っていいくらいでした。
明け方退社して、9時半には、もう出社していました。
僕のいた頃は、とにかく食べるところがほとんどありませんでした。
コンビニもなくて、
はとバス乗り場でお弁当用のおにぎりを買って朝ご飯にしていました。
先輩は、みんな有楽町まで、歩いていって、食べていました。
先輩のKさんは、家に帰らないで、
東京駅の地下にある銭湯、「東京温泉」で、いつもお風呂に入っていました。
先輩のUさんは、京橋にある区営プールで、泳いでいました。
博報堂の社員にとって、丸の内は、働く場所ではなく、
住む場所だったのです。
実際、先輩のMさんは、マンションを借りるのをやめたほどでした。
僕は、あまりに自分の家に帰る時間がないので、
丸の内で、マンションを探したほどでした。
もちろん、ありませんでした。
もし、まだ博報堂で働いていたとしたら、
丸の内のホテルに住んでいたと思います。
オフィスだけの空間は、さびれてしまいます。
生活空間になってこそ、街は、活性化するのです。
そう考えると、僕にとっての丸の内は、働く場所ではなく、
80年代から、生活空間でした。

                        中谷彰宏拝
P.S.
母親が、丸ビルをテレビで見て、行きたいと言うので、
今度、連れて行こうと思います。