12年間、僕は手塚治虫さんのそばにいた。 (アトム誕生日) |
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親愛なる君に ボウリングのプロテストの最終日は、 高田馬場のBIGBOXでありました。 大学時代住んでいた高田馬場に久しぶりに行きました。 JR高田馬場駅に降りると、いきなりあの音楽が流れてきました。 発車音楽が、「鉄腕アトム」なのです。 虫プロは、かつて高田馬場にありました。 おりしも、2003年4月7日。 アトムの誕生日でした。 この日に、プロテストの応援で、高田馬場に来たのも、 運命のような気がしました。 BIGBOXの前は、早稲田大学の新入生であふれていました。 いろんなサークルが勧誘をしていました。 僕が、早大に入学したのは、1979年。 24年前、僕も、この雑踏の中にいたのです。 表参道に暮らすまで、僕は高田馬場を転々としていました。 大学4年間+博報堂8年間。 考えてみると、計12年も、僕は手塚さんのそばにいたことになります。 大学時代に住んでいたマンションの名前は、トキワ荘。 「アトム」のテーマ曲のスローバラードバージョンが流れていました。 元気な音楽のスローバージョンは、ちょっと泣けました。 中谷彰宏拝 P.S. サークルの勧誘の中で目にとまったのは「生物部」でした。 (大学に入ってまで、生物部に入ってしまう人は、どんな人だろうか) (ひょっとしたら、超美人がいるかもしれない) と、手塚さんのマンガのような想像をちょっと、しました。 |