お豆腐を、ステンレスのボウルで、買いに行った夏の夕暮れ。
親愛なる君に

子供の頃、僕は、スーパーマーケットに住んでいました。
隣にも、古くからの市場がありました。
僕の部屋の裏は、ちょうどお豆腐屋さんでした。
最近、お豆腐のおつかいを見かけないね。
僕は、子供の頃、よく母親に、「お豆腐、買ってきて」
と、ステンレスのボウルを渡された。
お豆腐屋さんに行くと、そのボウルに入れてくれるのです。
それが、お昼ごはんの冷奴になったり、
お味噌汁の具になりました。
当時、お豆腐がいくらだったか、記憶があやふやですが、
五円玉が入っていた覚えがあります。
自転車で、夕方、売りにくるお豆腐屋さんもありました。
やっぱり、家からステンレスのボウルを持って、買いにきていました。
自転車でお豆腐を売りにくるお豆腐屋さんは、
「パーフー」という哀愁漂うラッパを吹いていました。
その「パーフー」が、「トーフー」と聞こえるのです。
あの「パーフー」が、夏の夕暮れの音でした。
28歳の頃、ロサンゼルスでインタビュー番組を作っていた初夏の夕暮れ頃、
やっぱり、「パーフー」というラッパを聞いたような気がしました。
あれは、幻聴だったのでしょうか。
ひょっとしたら、日本から移民したお豆腐屋さんだったのかもしれません。

                        中谷彰宏拝
P.S.
ロサンゼルスに自転車屋さんのお豆腐屋さんがいるかどうか、
今度、一緒に、確かめに行こう。