ライバルがいると、健康になる。
(坪田一男先生)
親愛なる君に

僕のアイバンクマラソンの目標は、3つあります。

1.毎年参加すること。
2.自己記録を出すこと。
3.坪田先生に勝つこと。

「坪田先生とのマッチ戦で盾を作って、勝った方が1年間保管する
というアメリカズカップシステムにしよう」と、提案したら、
坪田先生の秘書の宇治さんが、さっそく作ってくれました。

       坪田      中谷
2001年 28分56秒○  29分33秒●
2002年 28分43秒●  26分42秒○

大会前日、坪田先生から、練習の記録のメールが届きました。
練習で、2週前27分47秒、1週前27分21秒、とのこと。
このペースで行くと、26分50秒台で来ることが予想されます。
僕の3日前の試走が、25分51秒。
最初飛ばしすぎてペースをくずすことだけが、リスクでした。
レース前に、瀬古利彦監督に、「過去の対戦成績は?」
と聞かれて、つい当たり前のように「2勝1敗です」と答えてしまいました。
もう、今年は、勝ったつもりでいたのです。
スタート直後から、坪田先生は、もうダッシュしました。
これは、あせりました。
「ひょっとして、メールで届いたタイムは、
油断させるための作戦だったかもしれない」と考えました。
僕の予定ペースより、はるかに速いペースなのです。
そうなると、ペースが後半崩れて、
試走タイムより遅れてしまう可能性も出てきます。
これは、最後まで、ハラハラする展開になってしまいました。

結果    坪田      中谷
2003年 26分56秒●  24分34秒○

坪田先生は、僕の試走タイムを聞いて、勝負に出て飛ばしたのでした。
それに引っ張られて、僕も昨年より、2分8秒、タイムを縮めることができました。
坪田先生も、昨年より2分近く縮めているので、これは凄いことです。
ランニングを1年間していない僕が、2分8秒縮めることができたのは、
ボウリング・ダンス・マッサージ、そして、
1年間緊張させてくださった坪田先生のおかげです。
アイバンク・マラソンは、1年かけて走るレースなのです。

                        中谷彰宏拝
P.S.
さて、2004年のアイバンク・マラソンが始まった。