辰野金吾先生に、2つの泳ぎ方を教わった。
(東京駅と浜寺公園駅)
親愛なる君に

子供の頃、まったく気にかけなかったものが、
凄いものだということに気づくのは、大人になってからですね。
9歳から12歳まで3年間、浜寺水練学校に通っていました。
最寄り駅は、南海本線・浜寺公園駅。
実は、この駅が、凄いということを、最近、知りました。

1.1907年に作られた日本最古の私鉄駅舎。現在、97歳。
2.建築家は、東京駅を建築した辰野金吾先生。

そう言われると、浜寺公園駅は、白いイギリス調のオシャレな建物でした。
浜寺公園駅の白と、東京駅のレンガ色は、結びつきませんでした。
その頃すでに、大物だった辰野金吾先生が、なぜ一地方の駅を作ったか。
理由は、2つありました。

1.「北の芦屋、南の浜寺」と言われる高級住宅街・高級リゾート地だった。
2.日露戦争直後で、ロシア捕虜収容施設があって、VIPがたくさん来た。

僕は、浜寺水練学校に、南海バスで通っていました。
バス停は、浜寺公園駅の裏側にありました。
駅の裏側から、プール側に抜けるには、駅の下にある地下道を抜けていました。
それから、15年後、24歳から32歳まで、僕は、東京駅の地下道を抜けて、
会社のある丸の内口から、八重洲口まで、行ったり来たりしていました。
僕は、15年の間をはさんで、10年間、
辰野金吾先生の下を、歩いていたことになります。
僕にとっての博報堂でのサラリーマン生活は、
浜寺水練学校で水泳を習っているようなものだったのです。
浜寺で、海での泳ぎ方を学び、東京駅で社会の泳ぎ方を学びました。

浜寺公園駅のサイト。
http://www.for-you.co.jp/tatemono/file02/vol- 2.htm

                        彰宏より。
P.S.
今度一緒に、2つの辰野金吾作品の地下をくぐりに行こう。