込んでいるからこそ、楽しいこともある。
(明治神宮初もうで)
親愛なる君に

初もうでは、毎年、近くの明治神宮に行きます。
毎年、行くのが、3つの理由で、1月の半ばくらいになってしまいます。

1.三が日は、込んでいる。
2.4時までに入らないと、門が閉まる。
3.破魔矢などの去年のお守りをお返ししようとすると、
  一日中、持ち歩かないといけない。

いつも、「明治神宮のお札はまだ?」と、
母親から、催促されます。
今年は、なんと3日に行きました。
ボウリングの練習のあと、急げば、4時に入れそうだったからです。
お守りのお返しは、また別の日に改めてうかがうことにしました。
いつもより込んでましたが、さすがに4時ギリギリは、超満員じゃないな
と思っていたら、大変。
拝殿の2つ手前の門を曲がったら、ピッタリと止まってしまいまいました。
この時、頭の中で、「三が日の初もうでの人出〇〇万人」という
見出しが、浮かびました。
「〇〇万人」に入っている自分が、新聞の写真にゴマのように見えました。
いつもの僕なら、日にちを改めますが、
神参りで引き返すのは、なんとも、居心地のよくないものです。
新年早々、僕は、「今までの自分と違うことをしてみよう」と決めました。
並んで待つことにしたのです。
1時間半。
明るい時間に入ったのに、お賽銭を投げる頃には、真っ暗でした。
これも、不思議な経験です。
あたかも、一日中、境内にいたかのような錯覚を感じました。
参道に、なんと巨大なモニタービジョンが浮かび上がっていました。
神聖な神社に、巨大モニターとは、まるでSF空間でした。

                        彰宏より。
P.S.
込んでいる中で並んで何かをするというのも、
これはこれで楽しいものだとわかりました。