走っている間に、頭は高速で回転する。 (ラン・フォー・ビジョン2005その(3)) |
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親愛なる君に 走っている間中、無限のことを、考えます。 スタートしたあと、レース直前のテレビのインタビューでの 坪田一男先生のコメントを思い出しました。 予想タイムを聞かれて、坪田先生は「25分」と答えました。 気温30度を考えると、25分台の勝負になると、僕も予想していました。 (25分で、ペースメーカーが逆算してるなら、 僕もペースメーカーについていこう……) ところが、永田コーチのペースは、僕の予想よりはるかに遅いペースだったのです。 (そういうことか……本気選手は、下り坂でも上り坂でも、一定のペースで走る。 ところが、僕らのように、年1のランナーは、下りで稼がないと、 上り坂は、下りの倍遅くなる。 永田コーチは、単純に、5分×5キロという計算で走れてしまう。 そういう練習を、坪田先生としてきたなら、 練習してきてないことをしなければ、勝てない) そう考えて、僕は、一気に勝負に出ました。 最初の下りで、スパートしたのです。 最初の1キロを、3分22秒。時速18キロ。 オリンピックのメダリストが、1キロを3分15秒〜20秒で走るので、 金メダル並みのスピードです。 「ついていきましょう」という永田コーチの声が聞こえました。 坪田先生は、エネルギー後半温存タイプなので、 最初の1キロのスピード競争の練習はしていないと予測しました。 僕としても、勝負でした。 ここで、もしついてこられたら、僕のほうがへばってしまいます。 「2キロ目で、スピードを抑えましたね」 レースを振り返って話した時、永田コーチは見抜いていました。 後半、もし、坪田先生がスパートをかけた時用に、エネルギーを蓄えたのです。 本気選手には、僕の疲労度も読まれてしまうということも、プレッシャーでした。 坪田先生は、マイペースを守り、ついてきませんでした。 この判断も、間違っていません。 もしついてきたら、歩くことになったでしょう。 2キロ目は、直前発表でコースが変更になり、40メートル長くなりました。 この40メートルが、精神的には大きいのです。 3キロ目は、日陰のない直線コース。 照りつける太陽が、味方しました。 「あの直線で、本当は、詰めたかった」 というのが、永田コーチの分析でした。 30度は、想像以上に、体を疲労させていました。 暑い格好で、練習していたことも、今となっては、いい練習でした。 前日に、テンションをあげるために行った散髪も、体温を少し下げてくれました。 4キロ目の坂道では、年1ランナーは、抜くことは至難の業です。 5キロ目の直線でも、まだ僕は、安心できませんでした。 いつ勝負をかけてくるか、かけてきたら、いったん前に出して、 最後で抜こうという作戦まで、立てていました。 結果、中谷 25分14秒。 坪田 26分44秒。 ゴールの写真で余裕が表現できるように、20メートル直前から、 レイザーラモンHGの顔になりました。フォー。 彰宏。 P.S. これで、4連勝。通算、1勝4敗。 でも、1敗の時につぐ、しんどい戦いでした。 |