谷塚寮は、梁山泊みたいだった。
(世耕弘成さん)
親愛なる君に

自民党で、広報担当をしている世耕弘成さんとご飯を食べました。
世耕さんは、和歌山県選出の参議院議員で、
自民党の広報戦略の立役者で、
いつも小泉総理と武部さんの隣にいる人です。
広報という考え方がなかった政治の世界に、
広報を持ち込んだ人です。
世耕さんの『プロフェッショナル広報戦略』(ゴマブックス)が、実に面白かった。
なんと、その本が、中谷本の風俗本を担当していた赤井仁さん編集だったのです。
しかも同じ、駿台の谷塚寮の出身です。
谷塚寮はたった50人の寮で、僕は、1期・2期。(超法規措置で、2年いました)
世耕さんは、3期でした。
予備校の寮は、原則、継続して残らず総入れ替えなので、
わずか数日の差で、入れ違いに入寮してたので、
お互いまったく知らなかったのです。
「2期に、飯泉嘉門(徳島県知事)君や浅見善康(アサミ美容外科院長)君もいるよ」
と言うと、「お世話になってる人じゃないですか。まったく知らなかった」と、
世耕さんは感動していました。
部屋の間取りや近所の思い出で、
この日の会場、龍吟のせっかくの料理がもったいないくらいの盛り上がりでした。
世耕さんは、すぐ寮の友達に電話して、
「今、凄い話を聞いたから、今晩、電話するから、どんなに遅くなっても、起きててね」

と、電話していました。
僕が、寮長の花見さんに電話をして、かわりました。

「お前、活躍してるなあ」(寮長)
「『お前』って言ってもらえるのが、うれしいなあ」(世耕)

寮は、20年で、取り壊しになりました。
『里見八犬伝』で、玉を持った仲間に出会ったような気分でした。
「谷塚寮は、梁山泊みたいですね」と、世耕さんが言いました。
次回は、「寮の20年通しの同窓会」の打ち合わせをしよう約束して、別れました。

                        彰宏より。
P.S.
前世の仲間と出会ったような不思議な夜でした。 ※世耕弘成さんのHP ( http://www.newseko.gr.jp/ )