人生の転機の年齢が、父親と、同じだった。 |
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親愛なる君に 父親と話していて、またひとつ発見がありました。 父親が、神戸から実家の堺に帰ってきて、 スナックを始めたのは、32歳の時でした。 これが、父親の大きな転機でした。 僕が、会社を辞めたのが、32歳。 人生の転機が、くしくも、同い年でした。 当時、僕は、5歳。 OL経験もない母親が、いきなりスナックのママになったのが、29歳。 今から思うと、凄いことですね。 博報堂の師匠・藤井達朗が亡くなったのが、48歳。 僕の、今の年齢です。 藤井さんの亡くなった年齢になったかと思うと、不思議です。 彰宏より。 P.S. 君のお父さんやお母さんは、君の年齢の時に、何をしていたの。 |