37年ぶりに、仕事で、ご恩返しができる幸せ。
(芝村巧先生)
親愛なる君に

「堺・教師ゆめ塾」で、
主催をされている堺市教育委員会の皆さんにご挨拶しました。
スタッフの方から、
「教育長は、中谷さんの鳳小学校の教員をされてたこともあるんですよ」
と教えていただきました。
もう30年以上の前のことなので、 同時に在籍するという確率も低いかなと思いながら、
お名前を聞いて、驚きました。
記憶にあるのです。
「芝村先生」という苗字を聞いて、下の名前の「巧先生」を思い出せたのです。
「あっ、うちの妹の担任をしていただいていた先生です」
あとで、妹に電話をしたら、
「男前の先生やったから、よう覚えてるわ。
それにしても、私の担任の先生まで、なんでそんなに、覚えてんの?」
たしかに、そうです。
でも、覚えていました。
僕は児童会の会長をしていて、
新任の芝村巧先生が、児童会の担当だったのです。
だから、記憶が鮮明なのです。
今から思うと、熱血漢の先生と、生意気盛りの僕は、よくぶつかっていた
に違いありません。
まじめで、熱心で、優しい先生だったというふうに、僕の思い出の中では、
残っていました。
当時、芝村巧先生23歳、僕は、11歳。
あれから、37年たって、また活動をご一緒できるなんて、
こんな感動的なことはありません。
出逢いと再会の新記録を、更新しました。
いまだに、僕は、小学生のまんまですけどね。

                        彰宏より。
P.S.
もともと、このプロジェクトの話を持ってきてくださった東先生も、
三国丘高校の体育でお世話になった先生でした。
ご恩返しのつもりで、がんばります。