【「同い年」の人と話すことは、自分自身と話すことだ。】
前から知っていた人が、ふとしたことで、
「同い年」であるとわかることがある。
「なんだ、同い年だったんだ」と、
意味のない親しみを感じることがある。
それは、ひとつ上でも、ひとつ下でも、感じない。
「ひとつ違いですね」と言われても、別に、それ以上の感情にはならない。
初めて会った人が、「同い年」であることがわかると、
10センチは、距離が近づく。
「同い年」には、なんだかわからないけど、
無責任な親近感を覚えるのだ。
今回、僕の「同い年」の4人の方にお会いしました。
いずれも活躍されている方です。
活躍なんて、つまらない言い方ではなくて、
うらやましいくらい人生を楽しんで生きている方たちです。
4人とも、「だから、何?」とは言われませんでした。
すべての年齢の人にとって「同い年」の人には、
その年生まれの人共通の何かがあるのです。
「同い年」の人と話すことは、自分自身と話をすることなのだ。
(「まえがき」から)
まえがき 「同い年」の人と話すことは、自分自身と話すことだ。
●第1章 「同い年」は、「同じ景色」を、見てきた。
昭和34年12月生まれ トミーズ雅
●第2章 「同い年」には、共通の秘密がある。
昭和34年8月生まれ 赤井英和
●第3章 「同い年」は、鼻血で感性をみがく。
昭和34年1月生まれ ダンカン
●第4章 「同い年」には、意味がある。
昭和34年10月生まれ 渡辺謙
あとがき 「同い年」にしか、通じない話がある。
「同い年」にしか、教われない話がある。
(「目次」から) |