【この本は、3人のために書きました。】
(1) 表面ではなく、本質を見極めたい人。
(2) 次に起こることを、先読みしたい人。
(3) 人とは違う見方を身につけたい人。
【「観」イコール「まわりを見る」。「察」イコール「裏側を見る」。】
観察する時は、枝葉に惑わされず、
根っこを見なければなりません。
「観察力」の「観」と「察」とは、どう違うのでしょうか。
通常、何かを見る時はその部分だけを見ます。
「観」は広い周辺を見ることです。
それに対して、
「察」は見えない裏側を見ることです。
いわゆる「察する」ということなのです。
「言葉ではこう言っているけど、
あの人は本当はこういうことを言いたかったのではないか」
ということです。
サッカーでは、
ボールの動きだけ見ているわけではありません。
もっと広い範囲で、
ボールに触れていない選手の動きも見ています。
これが「観」です。
つまり、「観」るは「見」るより範囲が広いのです。
スポーツ観戦は、「見」るではなく、「観」るのです。
観光は「光を観る」と書きます。
五重塔を見に行くのではなく、
五重塔を取り囲んでいる空・山・自然を見なければなりません。
五重塔だけで切り取った写真は陳腐です。
つまり、それだけを見る見方をすると、
陳腐になるのです。
雑誌でよくある切り抜きも、陳腐です。
レースクイーンですら、
切り抜いたらしょぼい女性に見えます。
レース場の背景があるから、
レースクイーンなのです。
「察」は、相手が本当は何をやりたいかを
感じ取ることです。
サッカー選手が、
見ている方へボールを蹴るなんて、ありえません。
ワナとしてこちらを見ているだけで、
まったく違う方へ蹴るのです。
バックしたからといって、
バックしたいわけではありません。
それが、裏側を見るということです。
それが、分析するということです。
表や真ん中あたりだけを見ていたら、
分析はできません。
まわりを見て裏側を見ることで、
分析ができ、気づきがあるのです。
気づいた人が、
夢を実現するのです。
【そのものの「まわり」と「裏側」を見よう。】
(「プロローグ」から)
プロローグ
「観」イコール「まわりを見る」。
「察」イコール「裏側を見る」。
●Part1 分析は、行間力だ。
●Part2 分析は、観察力だ。
●Part3 分析は、想像力だ。
●Part4 分析は、作戦力だ。
エピローグ
情報よりも、知恵が集まる仕組みをつくる。
(目次から)
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